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森と水の碑2013.02.19 Tuesday
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星野は昭和25年の入植当時、水源に近いという理由で、安全な場所よりマラリヤの蔓延するファーナン川近くに集落形成することを選択しました。
それ以来、水源の確保は集落の最重要課題として取り組まれてきました。
アメリカ軍・琉球民政府に何度も陳情した結果、その努力が認められ9年後の昭和34年に米国民からの心温まる贈り物として、キャラウェイ高等弁務官より資金4500ドルをいただき、簡易水道設備の整備するに至りました。
それまでは、川まで水を汲みに行き、重い水の入った一斗缶2個を持って帰ったりして苦労したそうです。洗濯や入浴も川まで行ってやっていたそうです。
その苦労と水に対する感謝の気持ちを忘れないためにも、記念碑を作りました。
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